日本人の多くが持つ「みんなと仲良くしなきゃ病」とは?

 

 

あなたも「みんなと仲良くしなきゃ病」を患っていませんか?

嫌いな人は、いてもいい。

どんな人にも「あ、この人、生理的に無理だな」と思うことは、必ずあります。

わたしだって、もちろんあります。

理由もなく「なんとなく嫌い」という感情は、あっていいんです。

 

が、この当たり前にあっていい「嫌い」という感覚を

抑え込んで生きてきた人が、日本人にとても多いのは・・

 

それが許されなかった環境に身をおいてきたからであり

「みんなと仲良くしなきゃ」という概念に縛られた教育を重んじてきたからです。

 

わたしは、これにハマっている状態をわかりやすいように「みんなと仲良くしなきゃ病」と呼んでいます。

(わたしが勝手につけたネーミングです、病気じゃありません)

 

「みんなと仲良くしなきゃ!」に囚われて、「嫌い」という感覚に蓋をして生きていると


近づかなくていい人に近づいてしまったり・・

嫌なのに、嫌と言えなくて「嘘の関係」を続けてしまうことになったりします

あなたも、そんな状況に身を置いた覚えはありませんか?

 

もちろん、仕事仲間やママ友など、嫌でも付き合わなくてはいけない人はいます。

が、「嫌い」という気持ちを受け入れた上で、付き合っているのか否かでは大違い。

 

自分の自由意志のもとに、自分を守る上で、

相手との「ちょうどいい距離」を探すのか?


「仲良くしなきゃいけない義務感」から、自分を押し殺し

相手のペースに巻き込まれ続けてしまうのか?

では、心のストレスが全く変わってきますよね。

 

カウンセリング・セラピーをしていると

この「誰とでも仲良くしなきゃいけない」という思い込みで

がんじがらめになっている状態に、よく出会います。

 

平和主義を重んじるHSPさんは、特に要注意!ですよ。

かつてのわたしも、もれなくそのひとりでした。

誰とでも仲良くしなくちゃ・・と思っていたからこそ、自分を押し殺してまで

「どんな人にも、優しくするべき!」と、いい人を貫き自滅パターンを繰り返してしまうのです。

 

「みんなと仲良くしなきゃ病」は、いつから始まった?

あなたが小学生になったとき

「友達100人で〜きるかな♪」と、歌わされた記憶はありませんか?

あの頃の「友達がたくさんできればできるほど、いい」みたいな空気感。

 

家族にも親戚にも、近所の人にまで「友達できた〜?」と

合言葉のように、事あるごとに確認されたり

 

ちょっとでも友達をトラブルを起こすと

「喧嘩は良くない、ダメなことだ」と教え込まれたり

 

友達とうまく付き合えないと、

何か自分に問題があるように思われたり過度に心配されたりして・・

 

わたしたちは、いつしか

「人と衝突することは、悪いこと」

「仲良くできないことはダメなことなんだ」

と学んできました。

 

「みんなと同じ」であることに、安心感を覚えやすい日本人は

確かに、同じ方向に向かって歩くときは、団結したらものすごいパワーを発揮します。

 

学生時代に経験した運動会や文化祭、部活動でも

そのようなエネルギーを誰しも実感しているはずだし、まさに今の仕事でも特に、

この「結束力」というのを求められているかもしれません。

 

が、冒頭でも話しましたが、現実的には

いつでもどこでも誰とでも仲良くする、なんて・・到底無理な話なんでです。

 

それは、大人の都合や社会の都合でただ「統制しやすい」だけであって

誰とでも仲良くしなきゃいけない理由なんて、本当はどこにもないし、誰も答えられないのです。

 

「みんなと仲良く」の背後にある恐れ

「村八分」という言葉を、聞いたことはありますか?

 

昔は、村で何か悪いことをした人がいたら、「裏切り者」として

その人を村から追い出す、しめだすという文化がありました。

 

今だったら「追い出されるくらいどうってことないじゃん。別にひとりで

生きていけばいいじゃん。」と思えます。が、今と昔とでは、全く次元が違うもので

 

携帯電話はおろか、情報の収入源すらなく、物々交換で生き延びていた村人は

山に放り出されたら死んだも同然、つまり島流しとか、死刑に近い状態なのだそうですよ。

 

だから、わたしたちは先祖代々「村八分の教え」を体に植え付けられてきています

というか、村八分の恐れの最小単位が、あなたの生まれ育った家族なのです。

仲間はずれにされないように必死になるのは、その背後に、死に直結するレベルの恐怖があるからです。

 

「みんなと仲良くしなきゃ病」から抜け出しましょう

それから、ずいぶんと時代は変わりました。

チームはどんどん細分化され、個人で動くこと、個性が尊重される時代に

確実にシフトしつつあります。

 

けれど、「村八分の恐怖」は、さほど変わっていません。

この「出る釘は打たれる」文化が根強く残る文化・地域は、未だにあるし

SNSの誹謗中傷も、結局同じこと。やり方がただ多様化しただけです。

 

真面目な人ほど、この植え付けられた「同調圧力」に支配されすぎてしまう。

自分の言いたいことや本当にやりたいことを我慢しすぎて、身動きがとれなくなったり

はたまた、コロナの自粛警察のように「裏切り者」を常に見張り続けることになったりして

「自分を生きていない」不自由な状態に陥ってしまいます。

 

生きるためには、確かに居場所は必要です。

だけどもう、自分をそんなにひとつの場所に縛らなくたって、いいんです。

 

自分を偽ってまで、嫌いな人と仲良くしようとしたり

自分を殺してまで、輪の中にいようとしなくていいんです。

 

自分に「相手を嫌ってもいい」という許可を出すと、

相手にも「自分を嫌う権利」を与えることができ

自分も相手も、自由にしてあげることができます。

 

だからもう、嫌いという感覚を、これ以上封じ込めないでください。

自分の感覚を押し殺していると・・その先に待っているのは「うつ状態」です。

 

そうなる前に、ひとりで抱え込まず、必ず助けを求めてくださいね🍀


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