プロフィール

はじめまして

プロフィールをご覧くださり、誠にありがとうございます。
【生きづらさ専門】心理カウンセラー・セラピストの青村 咲(あおむら さき)です。


カウンセリングや心理セラピーを受ける場合には、
専門家であるわたしとの相性がとても大切になってきます
共通点を探しながら「相性が合うかどうか」を感じてみてください。


わたしの印象としては、よく

・気持ちを受け止めてくれる
・初対面でも話しやすい
・説明がどこよりもわかりやすい
・ペースを合わせてくれる
・深刻になりすぎず、冷静に判断してくれる
・経験豊富だから、安心して話せる 

と言ってもらうことが多いです。

>>あおちゃんの印象についてもっと詳しく


少し長いですが、わたしの経歴や生い立ちについて書いてみました。共通点を探しながら、
ぜひ参考にしてみてください☘ 

 

・愛知県生まれ。
・闘病中の父親がアルコールに溺れ、家族にきつく当たる毎日。
・人見知り、内気な性格でうまく会話ができず、仲間はずれや意地悪の的に。
・転校を機に、いじめにあっていた兄から、八つ当たりを受け始める。
・中学デビューで「いい人」として人気者になるも、とある失敗から、あがり症、赤面症、顔面麻痺に。

・自律神経が乱れ、倦怠感、悪夢、金縛り、動悸、偏頭痛などの心身症に悩まされる。
・義理の祖父との同居をきっかけに、母親がうつ病を発症。「死にたい」を連呼する。

・社会人になり、酷いパワハラにあう。1日2〜3時間しか眠れない日々が半年以上続く。
・ダメンズとの恋愛を繰り返し、婚約破棄となり、人間不信に陥ってしまう。
・自暴自棄になり、暴飲暴食で持っていたアレルギーが大爆発。怒りがコントロールできなくなる。
・20代半ば、とどめをさすように、突然父が亡くなる。
・自己啓発、スピリチュアル、コーチングで、ポジティブ信者になるも、余計に苦しくなり自己嫌悪が増す。
・勧誘ビジネスにひっかかり、大金も人脈も失う。無気力になり、引きこもりニートに。
・母のうつが再発。心理学を学び、母と「親子逆転」「共依存関係」であることに気づく。
・自分がアダルトチルドレン、HSPだとわかり、カウンセリング、心理療法で生きづらさが大幅に解消!
・母のうつが半年で完治し、十数年続いた兄からの八つ当たりを自力で止めることに成功。

・技術投資を重ね、独自の人生好転カウンセリング「ココロすっぴんセラピー」を開発。

・オンライン専用心理セラピールーム「Suppin」を立ち上げ、繊細で生きづらい女性のココロの避難場所となる。

 

ひたすら「父という嵐」が過ぎ去るのを耐える、幼少期

わたしは、物心ついた頃からビクビク怯えていました。人見知りがひどく、内気な性格で、ろくに人と目を合わせることができませんでした。どもりがあったため、自分のことを長い間「コミュ障」だと思っていあたし、実際友達がなかなかできませんでした。集団生活が苦手で、ひとり遊びを好む子どもでした。

わたしの父は、わたしが生まれてすぐ腎不全となり、闘病中のストレスからアルコールに溺れ、家の中で時々暴れていました。さっき笑っていたかと思うと、ちょっとしたことですぐに機嫌が悪くなり、いつ怒りのスイッチが入って攻撃されるか、わかりませんでした。カッとなるとすぐに手が出るタイプで、ビンタされたり、胸ぐらを掴まれることが多々ありました。

父は、わたしたち家族に対して「てめえ」「お前」「この野郎」と常に喧嘩口調でした。怖くて泣いてもまた怒鳴られるので、わたしはフリーズ(乖離)することで、自分の感情を抑えるということを無意識に覚えました。怒られても、何が悪いのか?は、よくわからず、ただただ「怒られる自分が悪いんだ」と思っていました。

家も外も「世界は、キケンな場所だ」

当時わたしが一番つらかったのは、夫婦喧嘩に巻き込まれることでした。精神的に限界となった母が、突発的に子どもを置いて家出しようとするのをわたしは死ぬ物狂いで、泣きながらすがりついて止めていました。家のことで心身ともに疲れていて、外でみんなと無邪気に遊ぶ気にはなれませんでした。「子どもらしくない」と言われることも多かったのですが、当時の自分には「子どもらしさ」の意味が、よくわかりませんでした。

うまく人と会話ができず、「何を考えているかわからない」と、仲間はずれや意地悪の標的にされるようになりました。近所の中学生からつばをかけられたり、同じ保育園の女の子に髪を切られたり、友達に壁にぶつけ飛ばされたり、男の子にいきなりビンタされたり、石を投げられたり。とにかく人が怖くてたまらなくて、集団で生活する保育園、学校が地獄でした。

小学4年生のとき、父方の祖父との同居をきっかけに、転校することになりましたが、不良グループのいじめの的にあっていた2つ上の兄から、八つ当たりを受け始めるのでした。 

人気者になりたかった、学生時代

わたしは、クラスの陽気な人気者に、とても憧れを抱いていました。「こんな暗い性格じゃ、誰も関心をもってはくれない。中学入学をきっかけに、明るい「いい人」にイメチェンすれば、もしかしたら、みんなから興味を持ってもらえるかもしれない。」そう思った私は、髪型から話し方、字の書き方まで、目に見えるものすべてを180度変え「好印象」を研究し尽くしました。

すると、9クラスもある学年で「いい人」ランキング第1位に選ばれ、クラスの男子何人にも告白され、学級委員長に抜擢されたのです。みんなに認めてもらえたことがとても嬉しくて、学級委員長として張り切って「いい人」を極めていきました。

しかし、それは無理をして作り上げた「かりそめの自分」。次第に、八方美人を演じることが苦しくなっていきました。つらくても誰にも相談できず、ひとりですべてを背負い、手柄をすべて自分だけのものにしようとしていました。

そしてある日、そういった承認欲求が裏目に出てしまい、ひとりよがりで企画した行事が大失敗に終わり、クラス全員の信用を一瞬で失ってしまう事件が起きてしまいます。一部始終をみていた担任の先生から、みんなの前で「お前は、学級委員長に向いていない」と、とどめのひと言を刺されました。突然ブレーカーが落ちたような感覚で血の気が引き、もう二度と自分には、輝かしい「スポットライト」が降り注ぐことはないと感じました。

失敗するのが怖い・・あがり症、赤面症など、心身症に悩まされる

その「大失敗」以降、わたしは学校に行くのが苦痛で苦痛でたまらまくなってしまいました。まだ中学校にはいって半年も経っていない頃です。親友だと思っていた友達から「いい人って、都合のいい人のことだよね」と言われて、更にショックを受けました。

「みんな自分のことを哀れに見ているに違いない」「どうせダメなやつだと思っているに違いない」という被害妄想が強くなり、「あがり症」と「赤面症」を発症してしまいます。自己紹介したり、発表をしたり、朗読したり、発言を求められたりすると、途端に頭が真っ白になり、声がうわずり手足が震えて、周りがざわつくほどのパニック状態に陥りました。たくさんの目線が自分に突き刺さっている感覚が、恐怖でたまらなくなりました。

不登校になることはありませんでしたが、ストレスで自律神経を大きく乱していたわたしは、何度も倒れていました。それから長きにわたって「絶望される」「崖っぷちに立たされる」悪夢を何度も見たり金縛りに苦しめられたり、指の皮をむしるなどの自傷行為に走ったり、動悸、偏頭痛、不整脈などの不定愁訴・心身症に悩まされ続けることになります。

母親が突然うつ病に・・わたしが支えなければ

そんな中、ある日、家に帰ると母が部屋を真っ暗にして「死にたい」とつぶやいていました。相変わらず激しい性格の父親の看病に、父とそっくりの義理の祖父との同居で心身疲れ果て、家事もままならない状態でした。わたしはとにかく、母のことを助けなくてはと思いました。父と兄の八つ当たりに耐えながらも、母な片腕になれるよう一生懸命家事を支えました。

しかし、家でも外でも「いい子」の仮面をかぶりつづけたことで、顔面が麻痺してしまいます。写真を撮るときに笑おうとしても筋肉が引きつってしまい、笑顔が作れない。そもそも楽しいという感覚がどういうものだったのか、よくわからなくなってしまいました。

本当の地獄は、社会人になってから

人の顔色ばかりを伺い続けて、自分のやりたいことが全くわからなかったわたしは、消去法で医療関係の事務職に流れつきます。そして、そこで酷いパワハラにあい、1日2〜3時間しか眠れない日々が数ヶ月続きます。

パワハラの内容は、主に職場放棄。直属の上司2人がグルになり、別室で「わたしをいかに辞めさせるか?」という話し合いで、仕事を何時間もさぼっていました。新人であるわたしに、3人分の仕事が降りかかろうが、過労で倒れようが周りの部署は、見て見ぬふり。誰も手を差し伸べてはくれませんでした。

そもそも、そこはブラック企業。無給休日出勤を含めると、高校生のバイトよりも安月給でした。わたしは耐えかねて、何度もパワハラしてきた相手の車に傷をつけたくなりました。また、こんな状況に追い込む会社を、いっそ燃やしてやろうか・・とまで思いつめました。

でも、本当の問題は「なぜそこまでされて、わたしは耐え続けるのか?」でした。簡単に辞められるはずなのに「辞めたら負けだ」「根性だけが自分の取り柄」と思い込んでいたわたしは、何が何でも意地になって、死ぬ物狂いで出勤していました。

1年にも渡るパワハラを「寿退社」で、どうにか逃げ抜くことができましたが、その時に抱えた恨みや憎しみは、消えるどころか、その後のわたしの人生をよりいっそう大きく歪めていきました。

恋愛でも、わたしは「大切にされない」

その頃のわたしには、やりたいことも好きなことも、何もありませんでした。相変わらず、頭の中は「人に認めてもらうためにはどうしたらいいのか?」でいっぱいでした。彼氏に必死になって「いい彼女」をアピールしたり、頼まれてもないのに母親のようなお世話をかって出てしてしまい、付き合う人を次々と「わたしを雑に扱うダメンズ」に、育て上げてしまいます。

彼氏の前でも完璧であろうとしたわたしは、彼氏にもスッピンを見せることはありませんでした。気を抜いた姿を見せることも、本音を伝えることも、弱音を吐くこともしませんでした。

わたしにとって「気を緩めること=キケン」だったからです。

「女子力の高さ」にこだわり、洋服、髪型、化粧、しぐさ・・外見ばかりに力を注いでいました。華やかさがあれば、強みがあれば、「愛され女子」になれると思い込んでいたから。プラスαで、積み上げることばかりを考えていたのです。

そんな状態でどうにか婚約にこぎつけた相手がいました。しかし、同棲してわずか1ヶ月で婚約破棄になります。突然「婚約指輪を返せ」と言われたり、数日後には「やっぱりやり直そう」と言われたり・・その日の気分でコロコロ態度が変わる「二重人格の彼」に振り回され続け、人間不信に陥りました。

感情がコントロールできない・・気づけば父親のようになっていた

婚約を機に転職した、新しい職場では、人間関係に恵まれました。しかし、プライベートで自暴自棄になっていたわたしは、精神的にものすごく不安定になり、ヒステリックに。今度は、自分がパワハラをするような立場になってしまいました。人の小さなミスが許せなかったり、八つ当たりしたり、「なんでこんなこともできないの?」と正論を積み上げて攻撃し始めたり・・怒りで人をコントロールしようとする」大嫌いな父親に、そっくりな自分になっていたことに気づいたのです。

自分で自分の感情をコントロールすることができない・・自分のことが、怖くなりました。次第に、同僚に「あおちゃん、こわいよね」と影で噂されるようになり、仲良く話していた人たちが、どんどん離れていってしまったのです。

自分いじめが加速・・体が強制終了をつげる

恋愛も仕事も、何もかも、全部うまくいかない。何をやってもダメな自分が、情けなくてたまらなくなりました。「わたしなんて、こんなもの食べてればいい」と、駄菓子をご飯にする「自分いじめ」の日々が続きました。荒れ果てた生活で、持っていたアレルギーが大爆発を起こし、顔面が化物のようにパンパンに腫れ上がったり、全身に蕁麻疹が出始め、会社を休むほどの体調不良に陥ってしまいました。

華の20代を謳歌する「リア充」の周りと比べて、わたしは・・哀れな姿で、薬漬けの毎日でした。楽しそうに生きる人に、強い嫉妬心を抱いては「自分なんて」とダメ出しをし続ける毎日に嫌気が差しました。こんなに苦労しているのに、報われない自分が切なくて悔しくて、自分の不幸をひたすら呪っていました。

父の死で、目が覚める

そんな絶不調の20代半ば、トドメをさすように父親が突然亡くなりました。最期にどんな言葉を交わしたか思い出せないほど、わたしは、亡くなる直前まで父親のことを「死ねばいいのに」と毛嫌いし、避けていました。

亡くなってはじめてわかった、父への愛情。もっと健全な関係で結ばれたかったという想い。もう何年も父とスキンシップなんてとっていなかったことに気づき、泣き叫びながら冷たくなった父の体をさすり、謝りつづけました。心にすっぽり穴が空き、寝ても覚めても、罪悪感に襲われ続けました。

食事を摂るのも忘れるほど泣き続けて、ようやく状況が把握できたとき「人は本当に、突然何の前触れもなく、亡くなるんだ」ということを身をもって実感しました。

もし、わたしの人生が明日終わるとしたら、後悔のない人生だったと言えるだろうか?答えは、絶対に「NO」でした。就職したときも、婚約したときも・・「わたしの人生なんて、こんなもんだろ」と諦め妥協し、わたし自身がわたしのことをナメきっていました。自分の人生の舵を、投げ捨てていたのは、このわたしでした。

わたしは、人生ではじめて「これからの人生どのように生きたいか?」について、本気で考えはじめたのです。

 

ポジティブ・シンキングでは、変われない

わたしの中で、何かが偏っていることには気づいていました。ただ、何をどうしていいかわからなかったため、自分磨き、占い、自己啓発、スピリチュアル、引き寄せ、コーチングなど、ポジティブになれそうなものに、手当り次第で突っ込んでいきました。講演やセミナーがあれば、活発的に飛び回りました。

しかし、それを何年続けても、いくら資金を注ぎ込んでも、苦しみは一向に減っている感じがしませんでした。むしろ、いつまでたっても結果が出ない現実に、焦りと嫌気が差しはじめ、理想と現実のギャップの大きさに落胆するようになりました。勧誘ビジネスにも引っかかってしまい、お金も人脈も一気にすべてをなくしてしまいます。

一時的にポジティブになれた気がしていても、それは単に「行動している自分に酔っている」だけ。頭で、心を無理やり引っ張っても、意味がないということに気づきました(高い勉強代でした)。ポジティブ思考で抑え込んだネガティブな感情が一気にあふれ出し「何もやりたくない」「もうどうでもいい」と、無気力状態に。30歳手前で、引きこもりニートとなってしまったのです。

地に足をつけて、心理学を勉強・・やっと光が見え始める

そして、母が2度目のうつを発症。兄のわたしに対する八つ当たりには、いよいよ拍車がかからなくなり、取っ組み合いの喧嘩をした挙げ句、ついに兄妹の縁を切るというところまでいきました。  

わたしは、わたしをはじめ家族全員が、心に問題を抱えていると思いました。支配的な父がいなくなっても、置かれている状況が全く変わっていなかったからです。わたしは、自分の家族に何が起きているのか?理解したくて、最後の頼みの綱としてすがりつくように、心の仕組みを本格的に勉強することにしました。

心理学を勉強し始めたのは初めてでしたが、初めてのようには思えませんでした。面白いほど、すらすら頭に入っていくのがわかりました。地に足を着けて絡んだ糸をひとつひとつ解いていく感覚に快感を覚え、喜びさえも感じていました。

「そうか。わたしはこんなにも、人の心に興味があったんだったなぁ」 

そう、わたしはずっと「人が苦手だ」と思い込んできました。でも、それは「好き」に、重い蓋が被さっていただけの話でした。本当は人と関わりたくて、深い部分で繋がりたくて、たまらなかったのです。

自分への見方が変わると、化学反応が起きる

心の勉強をし始めて、ちょっとずつ自分の見方が変わっていき、次第に人との接し方も変わっていきました。母との間に「親子逆転」「共依存」があることにも気づき、自分からお世話しようとすることをやめました。 

すると、母のうつ病が半年もしないうちに自然と改善したのです。あれほど鉛のように動かなかった母は、今では誰よりも活発に、旅行に飛び回るようになりました。母のことを「可哀想な人」だと思い込んでいましたが、母に必死にしがみついていたのは、わたしだったのだと気づいたのです。

知識だけでは、人は根本的に変われない

こうして着々と心理学の手応えを感じ始めたわたしですが、兄との関係は、どうしてもうまくいきませんでした。兄だけでなく「父に似た存在」が現れると、喉が詰まって言いたいことが言えなくなってしまうのです。もしくは父親のように、怒りを爆発させることになってしまうのでした。

わたしは、様々な情報を集めていく中で、自分がアダルトチルドレンで、HSPの気質があることを知りました。グルグル反省会してしまうのも、ビクビク怯えてしまうのも、自分のトラウマを理解することで、とても納得がいきました。 

そして、これらの生きづらさを根本的に解決するには、小手先の知識だけでは限界があることを思い知ったのです。 自分の中にある孤独感や愛情不足、人とうまく関われないといった絆の問題に必要なのは、知識ではなく、生身の人間を通して行う「信頼関係の再構築」であり、それを行うのがカウンセリング、心理セラピーでした。

心理セラピーで人生が好転!重い鎧を脱ぐ

カウンセリング、心理セラピーを初めて受けるときは、とても緊張したし、怖かったです。でも、覚悟して飛び込んでしまってからは、自分の心が回を重ねるごとに、手にとるようにラクになっていたのを感じました。生きづらさを抱えたわたしに必要だったのは、自分の気持ちを抑えることではなく、感じている本当の気持ちを、言葉できちんと開示していくことでした。

長年放置していたココロの傷を癒やし、体にいっぱい溜め込んで我慢してきた言葉たちを、どんどん解放していくと、本当の自分がひょっこり出てきました。理想の自分を作り、強がることで、本来の自分を殺していたんだと気づきました。

「こんなにたくさんヨロイを身に着けてたんじゃ、身動きできなくて当然。潰れて当然だよな」そう思えたとき、自然と自分を許せていました。自分がどれだけ孤独の殻に閉じこもり、狭い世界の中で生きてきたかを思い知りました。「自分はダメな人間だ」と責める習慣も、人のために自分を犠牲にしてしまう人間関係も、自分を抑えるクセをゆるめることで、手放すことができました。 

そして、伝える力を身に着けた(自己開示力を育てた)ことで、十数年続いた兄からの八つ当たりを、ある日突然ピタリと止めることができたのです!!これには、驚愕しました!言いたいことが言えるようになったわたしに、兄はこれまでにないほど優しく気遣うようになりました。


心理学の本には、よく
「他人は変えれない。変えられるのは自分だけ。」と書いてあります。でも、わたしに言わせれば「自分(への接し方)が変われば、他人(の自分に対する接し方)が変わる(化学反応が起こす)ことは、大いにあり得る。」です。 

もちろん、全く変わらない人もいます。「変わりたくない人」を無理やり変えることは、不可能に等しい行為です。しかし、自分の人生に集中することで、相手の出方が変わることは、現実にはよくあることなのです。

わたしは、カウンセリング、心理セラピーを通して「わたしはわたしのままでいい」と、心から安心することができました。わたしはもともと、自然体の自分で充分完璧なんだと思えることができました。今まで生きづらかったのは、自分を抑えるあまりに、本来の自分を発揮できていなかっただけだったとわかったのです。 

 

大切なのは「自分の人生を大切にしたい」という気持ち

そして今、わたしは心理カウンセラー・セラピストとして、人の背中を押す立場についています。あれだけ人が怖くて、自分の人生から逃げ続けていたわたしが「自分らしさ」を取り戻すお手伝いをしています。技術投資を重ね続け、独自の「ココロすっぴんカウンセリング」を開発し、自分を幸せにした分だけ、人を幸せに導くことができるということを今しっかりと肌で感じられています。

わたしをここまで支えてきたものは自分の人生を大切にしたい」という気持ちです。この気持ちさえあれば、どんな不幸もバネすることができます。そしてあなたにも、必ず「自分の人生を立て直す力」が宿っています。今からでも、決して遅くなんかありません。

「自信がない」ことを言い訳に、諦めてきた数々の幸せや喜びを、あなたにも全身で味わってもらいたいとわたしは思っています。自分を抑えるクセをゆるめて、自己開示力を育てれば、あなたの悩みもきっと解決します。

だからもうこれ以上、ひとりで抱え込んで人生の貴重な時間を無駄にしないでください。あなたのような思いやりにあふれた方が、ちゃんと幸せを感じられる世の中を作りたい。自分を殺して生きる人をひとりでも減らしたい。

そんな思いで、活動させていただいています。

こんなにも長い気の遠くなるような文章を、最後までお読みいただいてありがとうございました。少しでも希望を抱いていただけたら、嬉しく思います。 

 

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